覆面調査ルポ

2023.11.22

覆面調査ルポ 勤務態度に問題のある職員たちが自ら辞めた理由

Case60 一部職員の言動が理由で、職員同士が自由に意見を言えないクリニック

 今回調査を行ったのは、都市部にあるクリニックです。医師の手術の腕が評判で、遠くからも多くの患者が訪れるなど地域では有名な施設です。複数医師が在籍し、1日に数百人の患者が受診しており、待合室は常に人で溢れています。


 ただ、そのクリニックではスタッフの対応が良いとは言えず、院長が頭を悩ませていました。特に、一部の看護師の方の言葉遣いや態度が荒れており、業務自体はきちんとするものの、院長に対しても挨拶や返事はしない、さらには院長でさえ面と向かって呼び捨てにする始末とのことでした。先生方はとてもお優しい心の持ち主なので、「自分たちが我慢すればいいのではないか」「注意したことがきっかけで退職してしまい、他のスタッフに業務負担のしわ寄せが及んで負担をかけてしまうようなことがあれば心苦しい」ということで、大変お困りの様子でした。


 問題になっていたのは、いずれも勤続5年以上の看護師3人で、院長は今さら注意するのも難しいと考えていらっしゃいました。そこで私どもは、覆面調査を実施し、「患者からどのように見えているかを客観的に調査し、それをきっかけとして指導につなげてはいかがでしょうか?」と提案しました。院長は、患者にまで影響が出ているのであれば、指導のきっかけになると提案を受け入れ、調査を実施することになりました。


患者が眉をひそめるほどの言葉遣い
 
 早速、覆面調査員A子が調査に出かけることにしました。待合室に入ると、たくさんの患者で溢れていて、圧倒されるほどでした。玄関から入った際、受付の方は業務にかかりきりで、こちらを見ることもありません。1日を通じて、挨拶はどなたからもありませんでした。
 
 また、マスクを着用しているためかもしれませんが、スタッフの皆様の笑顔はほとんど見られませんでした。初診受付のスタッフは説明の際は真顔でしたが、最後に「お待ちください」と仰ったときだけ笑顔になりました。他のスタッフにも対応していただきましたが、どなたも笑顔での対応ではありませんでした。
 
 どのスタッフも、「〇〇さん」と患者の名前を呼び、その後確認のためか、すぐに「お名前教えてください」と患者に名乗らせて本題に入るため、挨拶はありません。多くのスタッフは、適切な敬語を使っていましたが、時々、接遇にはふさわしくない言葉遣いも耳に入りました。次回の予約をされている患者に「その日、当院休みー」と言ったり、「うん」や「あるよー」と返事をしたりするなど、丁寧さに欠ける話し方をよく耳にしました。患者が乗っている車いすを押していたスタッフが、別のスタッフに「検査室に連れていってもらっていい?」と言っていましたが、この言い方だと患者に対して、敬意が感じられません。この場合「こちらの患者様を検査室にご案内してください」と表現した方が適切だと感じました。
 
 スタッフの女性3人が、「今日の昼めし、何食いに行く?」と大きな声で話しており、これもまた職場での言葉遣いにふさわしくないと感じました。その声の大きさに驚き、スタッフの方を思わず見て眉をひそめる患者も見られ、不快な印象を与えていました。このほか、一部のスタッフが、背中で腕を組んで立っていたり、カウンターに肘をついていたりする姿が気になりました。
 
図1 今回の診療所のスコア


100点中40点でした。


インシデントの発生につながる
 
 覆面調査の結果、大部分のスタッフは時間に追われ、余裕のない中で業務をこなしている印象で、患者に対して配慮をする心の余裕も失っているようでした。また一部の看護師の言動が礼節に欠けていました。これらの結果について、院長にお知らせすると、「やはり患者から見てもわかるんですね。それに、忙しすぎて他のスタッフの心の余裕をなくさせてしまい、申し訳ない」と仰いました。
  
 そして、最近の出来事について、お話ししてくださいました。
  
 「実は、あの看護師たちは、私や患者だけでなく、他のスタッフに対しても威圧的なんです。だからあの部署は、新しいスタッフが入ってもすぐに退職してしまうんです。先日、新人の事務スタッフが患者に関するある情報について看護師の対応に誤りがあることに気づき、それを伝えました。しかしながら、その看護師は『大丈夫に決まってるじゃん』と、耳を傾けませんでした。結果として、情報伝達がうまくいかず、小さなインシデントが発生してしまったのです。ヒヤリハットのミーティングでは、新人事務スタッフは『言ったけど、無視して聞いてもらえなかった。それ以上強く言うことは怖くてできなかった』、看護師は『そんなの絶対聞いてない』の一点張りで、自らの振り返りはしてもらえませんでした。さらに彼女たちは、集まるたびに私たち(院長夫婦)への不平不満だけでなく、特定の患者への不満を口にするほか、他のスタッフに対して身体的特徴を笑ったり、『あの人は全然仕事ができないから、イライラする』と言ったりしていることもあるそうです。他のスタッフは、言うべきことも言えず、業務にさえ支障を来すようになってきているんです」と途方に暮れている様子でした。
 
 そこで私は、今この状況はスタッフの「心理的安全性」が確保されていない状態といえると伝えました。組織行動学の第一人者でハーバード・ビジネス・スクール教授のエイミー・C・エドモンドソン氏は、著書の中で、心理的安全性とは、大まかに言えば「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」と説明しています(エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』[英治出版、2021])。
 
 近年ではGoogleの労働改革(プロジェクトアリストテレス)において、「心理的安全性が確保されたチームが最も成果が出る」という結果が広く報道されたことで有名になりました。つまり、配慮や共感があり、発言量が同程度で、メンタル面が円滑なチームこそが最も成果を出すということです。医療現場での研究も進んでおり、医療機関が医療従事者の心理的安全性の向上に向け支援することで患者の安全性が促進され、医療の質を高めることにつながることも示唆されています(Aranzamendez G,et al. Nursing Forum 50.2015;3:171-8)。


「心理的安全性」が確保された場をつくるには
 
 エイミー・C・エドモンドソン氏は、心理的安全性を阻害する不安として、以下の4つを挙げています。


(1)「無知な人物」だと評価されることの不安
質問したり、情報を求めたりする際の不安。
「こんな単純なこともわからないの?」と言われるのではないかという不安。


(2)「無能な人物」だと評価されることの不安
挑戦したり、間違いを認めたり、支援を求めたりする際の不安。
「こんな簡単なこともできないの?」と言われるのではないかという不安。


(3)「否定的な人物」だと評価されることの不安
他の人と違う意見を言う、特に反対意見を表明する際の不安。
気分を害して、自己評価や人間関係を傷つけたくないという不安。


(4)「邪魔な人物」だと評価されることの不安
他者の時間を奪ったり、決定を覆す発言をしたりする際の不安。
和を乱す、関わると面倒な人と評価されることへの不安。
 
 このような不安を取り除き、心理的安全性を確保するためには、環境としての場づくりも重要です。心理的安全性と場の関係について、場には典型的な3つの種類があるとビジネス・ブレークスルー大学教授の斉藤徹氏は述べています(斉藤徹『だから僕たちは、組織を変えていける─やる気に満ちた「やさしいチーム」のつくりかた─』[クロスメディアパブリッシング、2021])。


(1)自論を戦わせる場
 知的な人材が多く、競争が激しい環境で起こりやすい。会議では参加者がマウントを取り合い、本音を話しにくい場。このような場では「無知の不安」「無能の不安」が渦巻き、心理的安全性は低くなります。


(2)空気を読み合う場
 安全な場として認識されがちですが、実は本音を言えないのが「過度に空気を読み合う場」。顔色で相手の気持ちを察することができるので、異なる意見が出にくくなります。このような場では、「邪魔になることへの不安」「否定への不安」を感じやすく、心理的安全性は低くなります。


(3)本音で共創する場
 ざっくばらんに多様な意見を出し合い、メンバー全員で価値を生み出せるのが「本音で共創する場」。多様な意見を組み合わせることが価値創出の源泉になるという価値観が共有され、全てのメンバーが「他人と異なる意見」を自然に言え、「自分と異なる意見」を冷静に受け止められます。高い心理的安全性を維持した理想的な場といえます。
 


徹底したのは「組織再建の3原則」
 
 今回のクリニックに当てはめてみると、声の大きい看護師たちが常にマウントを取っており、それ以外の方は「無知の不安」や「無能の不安」によって、自由に意見を言うことができなくなっているため、ミスを指摘できず、インシデントが発生したことが考えられます。また、ミスを指摘することにより、相手の気分を害してしまい、自己評価や人間関係を傷つける「否定への不安」や、厄介な人だと評価される「邪魔な人物」となってしまうことへの不安もあったため、強く伝えることができなかったと考えられます。
 
 結果としてクリニックが心理的安全性の低い場となり、患者対応に意識を向ける心の余裕がなく、業務をこなすだけになってしまうばかりか、インシデントが発生しやすい状況になっていました。
 
 組織再建の3原則とは、「時を守り、場を清め、礼を正す」こと。特に医療機関においては、他者を尊重する振る舞いの基本である「礼を正す」が疎かになり、スタッフ同士の挨拶や返事がないような組織は、大量離職や医療事故、メンタルヘルス不調を訴えるスタッフの増加など、内部から崩壊していくことが少なくありません。
 
 今回のクリニックでは、日常の業務を行う中で、この3原則を徹底することにしました。具体的には、ミーティングなど決められた時間に間に合わなければ「時間を守るようにしてください」とリーダーがきちんと伝える(時を守る)。使ったものが元に戻っていなければ、「次の人が使いやすいようにきちんと戻してください」とリーダーが伝える(場を清める)。挨拶はリーダーが率先して行い、「笑顔で明るく相手の目を見て、相手の名前を呼んで挨拶する」(礼を正す)。
 
 例えば、返事は相手に聞こえる声で「はい」と言い、何か書類を渡すときには名前を呼んで「〇〇さん、お願いします」と言うようにしてもらいました。何かをしてもらったら、相手の名前を呼んで「〇〇さん、ありがとうございます」と言い、帰る時は「お先に失礼します」と持ち場の周りのスタッフに挨拶をしてから帰る。そして、これらができていなかったら、リーダーが「きちんと挨拶や返事、お礼の言葉は言ってくださいね」と伝える。そして、できるようになったら、きちんと認め、協力してくれたことへの感謝の気持ちを伝えるように心がけてもらいました。
 
 リーダーがこうしたことを伝える際には、イライラして感情をぶつけるのではなく、淡々とお願いをするというスタンスで臨むとスムーズに進めやすくなります。
 
 このクリニックでは看護師長と看護主任がリーダーを務めました。こうした地道な声掛けなどを繰り返すことにより、居心地の悪くなった看護師2人は退職していきました。残りの看護師1人は、仕事を続けてくれていますが、以前のような横柄な言動は目立たなくなり、真面目に取り組んでくれています。
 
 医療機関の接遇改善を行う上では、患者対応を通じて患者満足度を向上させるだけでなく、スタッフ同士の関係においても他者を尊重して関わる視点を持って進めることが重要です。細かい言葉遣いや態度、心がけが、結果として心理的安全性を高め、チームの成果につながっていきます。
 

〔今回のチェックポイント〕
☐ミーティングで発言する人はいつも決まっていませんか?
☐スタッフ同士の挨拶が形式だけになっていませんか?
☐他者を尊重する価値観が共有されていますか?
 
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