2026.08.26
給与アップにもかかわらずスタッフから不満噴出、なぜ?
Case72 「スタッフの私語が不快」と書き込まれたクリニック
今回は、代替わりをして3年目を迎え、患者数も安定してきたクリニックのケースです。こちらのクリニックでは、事業承継のタイミングでスタッフのほとんどが入れ替わったそうです。最近では、新規のスタッフが院長とコミュニケーションを取る機会も少なくなってきていました。
院長によると、口コミサイトに「なれなれしい言葉遣いが気になる」「待ち時間が長く、イライラしている時に私語が聞こえてきて不快だ」といった内容を書かれたとのこと。院長は、スタッフに改善を望みながらも、なかなか言い出せずにいました。
そこで、今年の診療報酬改定で拡充された外来・在宅ベースアップ評価料を導入し、スタッフのモチベーション向上、そして接遇への意識改善を目指しました。その成果は出ているのか、客観的な視点で評価し、スタッフに適切な指導をするため、当社に覆面調査を依頼しました。
聞こえてきたスタッフ同士の会話の内容は…
早速、覆面調査員A子がクリニックを訪れました。先代の時代に建てられたと思われる建物で、落ち着いた雰囲気の外観です。
ドアを開けて中に入ったところ、どのスタッフもA子に気付きません。こちらから「すみません、11時半に予約している〇〇と申します」と名乗ったところ、「はーい。〇〇さんですね。マイナンバーカードはお持ちですか」と続きました。「こんにちは」などの挨拶が何もなかったのが残念です。スタッフは片足に重心をかけた姿勢が続いており、疲れている印象を受けました。
また、訪問前に電話で質問した際には、「分かりません」という返事で対応が終了してしまいました。即答が難しい場合でも、「確認して折り返しいたします」「少々お待ちいただけますか」などと伝え、他のスタッフに確認するとよいでしょう。
検査前に待合室で待っていると、スタッフ同士の話し声が聞こえてきました。内容は、自分たちの処遇に対する赤裸々な不満。どうやら、給与に関して鬱憤がたまっているようです。A子は聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がして、複雑な心境になりました。
診察時の医師の対応は問題なく、ホームページの見やすさや予約システム、自動精算機の設置など、機能面においても効率化が進められていました。患者にとって利便性の高い環境が整えられているだけに、スタッフの対応が残念でした。
図1 今回の診療所のスコア

100点中50点でした。
処遇への不満の背景
調査から約2週間後、院長へ結果報告を行いました。最初に接遇に関する課題を伝えると、「やはり口コミサイトに悪く書かれても仕方がない状態だったんですね。私がずっと指導してこなかったのがいけなかった……」と、後悔していらっしゃいました。
続いて、スタッフの私語や、処遇への不満が漏れ聞こえていた事実をお伝えしました。すると院長はハッとした様子で、次のように話してくださいました。
「実は先週、スタッフから『確認したいことがある』と言われ、ミーティングを行いました。その際、ベースアップ評価料について『説明がない』『正しく支給されているのか』と詰問され、最終的には『計画書を見せてほしい』とまで言われたのです。確かに、基本給にベースアップ評価料分を上乗せした上で、スタッフには総額のみを示していたため、分かりづらく説明不足だった面はあります。しかし、スタッフの給料を上げるために導入したにもかかわらず、感謝されるどころか不満が爆発するとは思ってもみませんでした……」
落胆する院長に対し、私はスタッフへのフィードバックの進め方について次のように提案しました。まず、接遇の改善点と、私語が目立っていた事実のみを客観的に伝えること。そして、処遇に関する不満の内容自体には言及せず、改めてベースアップ評価料の説明会を開いた上で、全員が納得できる評価制度を策定することです。「評価制度の導入には警戒心を抱くスタッフもいると思われますが、納得感のある評価基準と対話をセットで提示できれば、自分たちの努力が正当に評価される仕組みとして受け入れられます」と院長に伝えました。
フィードバック研修では、個人名や不満の具体的内容を特定することは避け、あくまでクリニック全体の問題として改善に向けて話し合いました。続いて開催したベースアップ評価料の説明会では、その導入目的や基本給への反映基準、算出根拠をできる限りオープンに示しました。そして、今後はスタッフの貢献や適切な接遇がしっかり報われるよう、明確な評価制度を共に作っていきたいという院長の想いと反省を直接伝えていただきました。
事前の対話を怠っていたことを真摯に謝罪し、今後の透明性を約束した院長の姿勢に、最初は警戒した様子だったスタッフたちの態度も少しずつ和らいでいきました。
表1 覆面調査での主なチェックポイントと評価結果

なぜ「善意の昇給」が不満の爆発につながったのか
給料を上げたにもかかわらず、感謝されるどころか不満が噴出してしまった今回の事例。一見するとスタッフのわがままにも思えますが、これを「関係性資本経営」※の観点からひもとくと、3つの課題が見えてきます。
※スタッフ間や院長との信頼関係やつながりを、経営を左右する「目に見えない資産(あるいは負債)」と捉える経営手法
(1)「二要因理論」と衛生要因(昇給)の限界
心理学者ハーズバーグの「二要因理論」(Frederick Herzberg, Harv Bus Rev. 2003;81:87-96.など)では、給与や労働条件は、労働者の不満を予防する「衛生要因」に分類されます。これらが整っていないと強い不満を引き起こしますが、かといって単に整備しただけでは必ずしも真のモチベーションにはつながりません。反対に、満たされていなくても不満感はないものの、満たされていると仕事へのモチベーションを高める「動機付け要因」には、上司からの承認や責任・権限などがあります。衛生要因と動機付け要因の両方が満たされる環境を整えることが大切です。
(2)「手続き的正義(プロセスと対話)」の欠如
組織心理学における組織的公正の研究(関口倫紀ら 経営行動科学 2009;22:1-12.など)では、人が評価や処遇に納得するかどうかは、獲得した結果(昇給額など)そのもの以上に、「どのような基準やプロセスで決まったのか(手続き的正義)」、そして「その過程で労働者を尊重し、丁寧な説明や対話がなされたか(相互作用的正義)」に大きく左右されるとされています。今回、院長は「良かれと思って努力した」つもりでも、ベースアップ評価料による賃上げについて、手法の明示や事前の対話がないまま結果だけを通達してしまったことで、スタッフは「自分たちの日々の苦労や貢献が正しく評価されていない」と不信感を募らせてしまったのです。
(3)「関係性負債(不信感)」の表面化
日頃のコミュニケーションやねぎらいは、目に見えない「関係性資産(信頼残高)」として蓄積されます。この資産が十分にたまっている職場であれば、賃上げは「院長からの感謝の証」として素直に受け取られます。しかし、対話が十分にできず、「関係性負債(不信感)」がたまっている状態では、どんな善意の施策も「理由の説明がない」「不公平だ」という反発を招いてしまうのです(関連記事:スタッフを注意できずに放置したことが招いた結末)。
賃上げは、良好な関係性という土台があってこそ機能する
説明会と個別面談を経たことで、スタッフからは「職種によって業務の大変さが違う」「自分たちの努力を適切な基準で見てほしい」といった本心が明かされるようになりました。その後、スタッフも巻き込んで策定した評価制度の導入により、クリニック内には「何を目指せばいいのか」という共通言語が生まれました。接遇への意識も大きく改善し、口コミの評価も徐々に持ち直し始めています。
ベースアップ評価料の活用などによる賃上げは、スタッフのエンゲージメントを高める強力なツールになり得ます。しかしそれは、「日常の対話」と「相互の信頼」という関係性資産があって初めて効果を発揮するものです。目に見える制度や給与の改善の前に、まず目に見えない「関係性の土台」がどうなっているのかを見つめ直すことが、組織改革の第一歩となるでしょう。
今回のチェックポイント
□「給料さえ上げればスタッフの不満は消える」と考えていませんか?
□評価や配分のプロセスにおいて、十分な対話と説明による透明性が保たれていますか?
□日頃からスタッフの目に見えない苦労や貢献を理解し、関係性資産を蓄えていますか?

