2026.04.02
「患者を待たせている」と焦る受付、時間を計ってみたら…
Case70 忙しい空気で満ちている内科クリニック
「最近、患者さんから『いつも忙しそうだね』と言われることが増えました。これは『活気づいた』と捉えられているのか、それとも『対応が雑になった』と思われているのか……。一度、プロの目で確かめていただけませんか」
ある内科クリニックの院長から、3年ぶりに覆面調査の依頼を受けたのは、春の兆しが見え始めた頃のことでした。
前回の調査からの3年間、このクリニックが歩んできた道のりは「大成功」そのものでした。接遇向上プロジェクトを立ち上げ、スタッフ全員でロールプレイングを重ねた一方、デジタル化による業務効率化も実施しました。ハード、ソフトの両面で磨きをかけた結果、患者数は3年前の約1.5倍にまで増加したといいます。
地域に根差し、信頼を勝ち取った結果の患者増。しかし院長は、その裏にある空気の変化を敏感に察知していました。効率を求めて導入したシステムが、皮肉にもスタッフから心のゆとりを奪っていないか。丁寧さを旗印にしたホスピタリティーが、忙しさという濁流に押し流されていないか──。私は実態を探るべく、覆面調査員を派遣しました。
患者の不安に寄り添う余裕もなく、意識は目の前の業務に
調査員A子が待合室に足を踏み入れると、そこには活気あふれる光景が広がっていました。老若男女、多くの患者さんが席を埋めており、人気の高さが一目で分かります。院内は明るく清潔で、季節を感じさせる装飾も施されています。居心地の良い空間づくりがされているとA子は感じました。
しかし、A子の受付の順番が回ってきたとき、院長の懸念の正体が見えてきました。
受付カウンターに向かうと、1人のスタッフが自然なアイコンタクトとともに、柔らかなお辞儀を添えた挨拶をしました。3年前には見られなかった「プロ意識」を感じる、好印象な対応です。
ところが、その隣のスタッフは対照的でした。パソコンの画面に視線を落としたまま、作業の合間に声を掛けるスタイルなのです。挨拶の言葉はあっても目が合わず、「自分に向けられた言葉」とは感じられません。早口で語尾をピシャリと切る話し方は、効率的ではあるものの、どこか機械的で冷たい印象を与えます。
さらに観察を続けると、スタッフ間の連携も「テキパキ」を通り越し、せわしないトーンに支配されていることに気付きました。「あちらでお待ちください」と指し示す手は片手で、視線はすでに次の書類へ。待合スペースへの目配りも少なく、患者さんの不安に寄り添うような「間」が欠落していました。
これは心理学で「イースターブルックの仮説」(Psychol Rev. 1959;66:183-201.)と呼ばれる現象に近いものです。人は強いプレッシャーや焦り(覚醒レベルの上昇)を感じると、処理できる情報の範囲が極端に狭くなり、「セントラル・ディテール(中心的な細部)」に固執します。つまり、目の前の事務処理に全神経を集中させた結果、患者さんの表情や待合室の空気といった周辺情報が脳からシャットアウトされ、極端に視野が狭くなる「トンネルビジョン」に陥るのです。
不安を抱えて来院する患者さんにとって、医療機関は「安心」を得る場所でもあります。この医療機関のスタッフは決して悪気があるわけではなく、むしろ「一生懸命に業務をこなそう」という責任感にあふれているのですが、その熱意が焦りに変換され、ピリついた緊張感を生み出していたのです。
図1 今回の診療所のスコア

100点中58点でした。
防犯カメラの映像で発覚した、驚きの事実
後日行われたフィードバック研修で、私はまず、3年前との比較をお伝えしました。「以前は挨拶すらままならず、言葉遣いも不適切でした。それに比べれば、今の皆さんはスキルが格段に向上しています。素晴らしい進化です」と。
表情が少し和らいだところで、今回の調査で見えた、焦りが生んでいる弊害について共有しました。すると、1人の受付スタッフが、せきを切ったように悩みを打ち明けてくれました。
「実は……患者さんがカウンターに2人、3人と並び始めると、どうしても心臓がバクバクして焦ってしまうんです。『早く対応しなきゃ』『お待たせしてはいけない』と思うほどミスをしそうになり、丁寧な言葉遣いや笑顔を作る余裕がなくなってしまって……」
彼女の言葉に、周囲のスタッフも深くうなずいていました。受付は、いわば医療機関の顔。患者さんに最初に出会い、第一印象を与えるポジションです。その責任感の強さゆえに、彼女たちは「並ばせる=悪」という強迫観念にも近いプレッシャーを感じていたのです。
そこで、私たちはある実験を行うことにしました。特に混雑していた時間帯の防犯カメラの映像を、スタッフ全員で見直すことにしたのです。最も混雑し、スタッフが「限界だ」と感じていた瞬間を客観的に分析したところ、驚くべき結果が得られました。
一度に並んでいた患者さんの人数は、最大で5人。そして、最後尾の人が受付を終えるまでにかかった時間は、1分20秒だったのです。
「えっ……、たったこれだけ?」
スタッフたちにどよめきが走りました。彼女たちの主観では5分以上にも感じられた「待ち時間」は、実際はわずかだったのです。
時間短縮よりも、コミュニケーションの質を大事に
なぜ、これほどまでの乖離が生まれるのでしょうか。心理学者のドロワ=ヴォレらは、「内部時計モデル」に基づき、高い覚醒状態(焦りや恐怖)では脳内のペースメーカーが加速し、客観的な1秒に対してより多くのパルスをカウントすると説明しています(Trends Cogn Sci. 2007;11:504-13.)。つまり、彼女たちの脳内では、現実の1分20秒が、「数分間の激闘」として知覚されていたのです。
さらにデータを分析すると、クリニックでの患者さんの平均滞在時間は、診察や検査、会計を含めて約50分と判明しました。このうち、受付での1分20秒が占める割合は、3%にも達しません。この1分20秒を1分に短縮するために早口でまくし立てると、患者さんは「冷たくあしらわれた」という不快感を抱くことになります。
医療サービスに関する研究では、患者満足度に最も影響を与えるのは、実際の待ち時間そのものではなく、スタッフの説明や態度など、コミュニケーションの質であることが示されています(Ann Emerg Med. 1996;28:657-65.)。つまり、患者さんにとっては「どれだけ待ったか」よりも、「どのように扱われたか」という記憶の方が重みがあります。受付での1分20秒という時間は、患者さんと心を通わせるための「ホスピタリティーの時間」に変わる余地があります。
表1 覆面調査での主なチェックポイントと評価結果

スタッフの心の余裕が、より良い医療サービスにつながる
今回私が最も強調したかったのは、実は患者満足度以上に、スタッフ自身のウェルビーイング(心身ともに満たされた状態)についてでした。
焦りながら仕事をするのは、脳と体に過剰なストレスをかけ続ける行為です。常に闘争・逃走反応(アドレナリン放出状態)で働くことは、短期的にはパフォーマンスを上げるかもしれませんが、長期的には燃え尽き症候群(バーンアウト)の原因となります。
また、焦りによって視野が狭まると、スタッフは最も大切な報酬を見落とすようになります。それは、患者さんからの小さな感謝のサインです。「ありがとうと言ってもらえた」。これは仕事にやりがいを感じさせるウェルビーイングの源泉ですが、トンネルビジョンに陥った脳には、このようなポジティブな刺激が届きにくくなります。
研修の終盤、私は待ち時間の認識を「待たせている」という罪悪感から、「順番を待ってくれている」という感謝へ変えることを提案しました。「早くしなきゃ」という焦燥は体を強張らせますが、「無理をしてまで急ぐ必要はない」と自分に許可を出せば、本来の接遇が可能になります。そして、感謝を動機にすることで表情が自然に和らぎ、動作にもゆとりが生まれます。この心の余裕こそがクリニック全体の空気を変え、信頼感を高める、ウェルビーイングの土台となるのです。
数カ月後に再訪すると、スタッフは忙しい合間にも待合室を見渡し、一人ひとりへ温かな言葉を掛けていました。クレームも減り、感謝の声が増加。消耗感から解放されたスタッフは、誇らしげな表情で働いていました。「待ち時間はたった1分20秒」という真実が、彼女たちを救ったのです。
忙しい現場だからこそ、「早く」よりも「丁寧に」。クリニックの真の価値は、効率的なシステム以上に、「1分20秒」をいかに穏やかな慈しみの時間にできるかで決まるのだと、私は確信しています。
今回のチェックポイント
□混雑時の「実際の待ち時間」を計測していますか?
□顔を上げて、患者さんに視線を送る心の余裕はありますか?
□待っている患者さんに対して「申し訳ない」という謝罪だけではなく、「お待ちいただきありがとうございます」という感謝の気持ちを伝えていますか?

