榊原陽子ブログ

2021.09.16

放蕩息子のたとえ話

放蕩息子のたとえ話

息子がまだ小学生だった頃、志望した中学の宗教の模擬授業で、神父さまが話してくださったお話です。

息子があれこれやらかす度に思い出し、放蕩息子の父親なら、どうするかな?といつも想像しています😁

ある金持ちの父親には二人の息子がいました。弟はまだ父親が生きている間に財産分与を要求し、

それを元手として、家出をして遠くの国に行ってしまいました。

放蕩を尽くし、財産もなくした時、飢饉がやってきました。

食べるものもなくなり、このまま死ぬかもと思っていたとき、弟は

「そうだ。家に帰ろう。そしてこれまでの放蕩の罪を償おう。

息子に戻ることはできないから、せめて父のところで働かせてもらおう」

家に帰ると父親は、死んでしまったと思っていた息子が帰ってきたことを喜び祝宴をしました。

ところが兄は穀潰しの弟を軽蔑します。

その兄に対し、父親は

「お前はずっと一緒にいたけれど、弟は死んでしまったとおもっていたのに、生き返ったんだ。

祝宴をするのは当たり前ではないか」

この話はキリストの深い憐れみの奥義と言われています。

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